原子と原子が離れ、別の原子と結びつく――私たちは、化学反応をそのようにとらえ、何となく理解したつもりになっています。だが、実際に化学反応の際に何が起こっているのか?岩田耕一教授は、分光学という武器を駆使して、極微小・超高速の世界の解明に挑んでいます。
岩田 分子というものは、振動や回転などさまざまに運動しています。この分子に一定の波長の光を当てると、一部が分子の振動の影響を受けて、元とは異なる波長の光として散乱されます。これを解析することで、分子の形がどう変わったか、結合状態が変化したかなど、多くの情報を得ることができます。
化学反応は、極めて短い時間の間に起こります。そこで、たとえば極めて短い時間だけ光るパルス光を用いて、その間にどういう変化が起きているかを観測するのが「時間分解分光」です。いわば、野球選手がスイングしているところをストロボ写真で何度も撮影し、そのフォームを調べるようなものです。
岩田 最近では100フェムト秒、つまり10兆分の1秒レベルの観測が比較的容易にできるようになってきました。これは、1秒間に地球を7周半できる光が、わずか30マイクロメートルしか進むことのできない時間です。
岩田 大学時代には物理化学をやってみたいということで、田隅三生教授の研究室で細菌が行なう光合成のメカニズムなどを研究テーマとしていました。博士課程に進んだところでテーマを変えたいと思い、測定装置の開発に携わりました。
岩田 オリジナルのよい装置ができれば、ほぼ自動的に世界初のデータが取れますので、私たちの分野では重要ですね。いろいろな研究所から中古の機械をもらってきて改造したり、当時はまだ珍しかったパソコンでの制御を試してみたりと、楽しかったことを覚えています。そのテーマで博士号を取り、1989年にアメリカで博士研究員になりました。
岩田 当時、世界で初めてピコ秒(1兆分の1秒)ラマン分光での観測に成功した、勢いのある研究室でした。日本はバブルの絶頂期でしたが、あちらの研究室は比べ物にならないほど設備が充実していましたし、次々と一流の研究者がセミナーにやってくるなど、ソフト・ハード両面で実に豊かでした。
岩田 神奈川科学技術アカデミーの濵口宏夫先生(後に東京大学)の研究室で、有機分子のピコ秒ラマン分光を主な研究テーマとしていました。当時のレーザーは使うたびにいろいろ微調整が必要で、これができることが私のアドバンテージになりました。電源を入れてから、熱膨張などで金属部分が微妙にゆがんだり曲がったりしますので、一日がかりで調整してから実験データを取ることが普通でした。
岩田 今の測定機器はずいぶん進歩していますが、やはりそうした部分は残っています。手先の器用さだけでなく、何が起きているか想像して対応を考えるようなことも必要です。ゲームのハイスコアを狙うような面白さもありました。
岩田 2009年に学習院大学に着任してからは、生体膜の研究に力を入れています。膜はわずか5ナノメートルほどの厚さしかない場所でありながら、生命にとって重要な多くの化学反応がここで起こっており、解明されていないことも多くあります。最近では、スチルベンという分子が膜の中でねじれる化学反応の速度を測定し、膜の中心部は浅いところに比べて粘度が小さいことを示すことができました。これは、東京工業大学の中村浩之先生との共同研究でした。
岩田 最近では、細胞膜の「脂質ラフト」と呼ばれる特別な部位が注目されています。ここには比較的硬い分子が集まっていて、特別な反応の場を作っているといわれています。しかし、これを生きた細胞できちんと「見た」人はいません。この脂質ラフトを分光法の力で見てみたい、というのが今の大きな目標です。
岩田 やはりまじめな人、うまく行かない時にも粘り強く取り組む人でしょうか。勤勉でモチベーションも高い人がベストですが、この大学にはそうした学生が多くいますので、自分としてもとてもハッピーです。必要な数学などは研究の中で学べますので、必ずしもこれらが非常に得意でなければということはありません。いろいろな個性の人がいますので、それぞれに研究の楽しさを知ってもらえればそれでよいとも思っています。
岩田 「理系に進みたい人は国語を勉強して下さい」ということですね。理科や数学が重要なのはもちろんですが、ロジカルに考える時、ロジカルな文章を書く時には、絶対に日本語の力が必要です。これからの教育で、重視すべき部分と思っています